ft ダートトラック通信

二輪、四輪の文化、生活、ダートトラックの情報をアメリカ・インディアナ州インディアナポリスから発信。

翻訳版。

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このブログを訪れてくれる皆さんにはいつもありがとうございます。






前回のMr'スキップ・イークンのインタビュー、ダートトラック・ライダーの皆さんは「英語の勉強になる!」とガンバって読んで頂けたでしょうか?←その人は必ず速く、上手になる人です。


彼のインタビューはそうそう残っておらず、時代を超えて貴重なものだと思います。学ぶべき事が多くウィキよろしく私もガンバりました。さて、




・私が尊敬する人物を、思わず「なんだこのジ◯○は?」などと思ってしまった若造。
・英語読むの面倒クセエと思った人。
・ダートトラックが好きな人。
・ロードレースが好きな人。中でもAMAスーパーバイクに興味があったりする人。
・もっとオーバルを速く走りたい人。
・ダート・トラックをする、しようとしている人間が、なぜ一度はアメリカをしっかり拝んでおかなければならないのかがわからない人。



以上の点に合致する点が多い人。


では以下、そんな方々に捧げます。



もし気に入ってくれたら拍手でも「like」でもクリックするか、コメントでもしてください。(←数によってはいつかまたこういった気まぐれなバカをやるかもしれない。)




インタビュー前半。
インタビュー後半。



※1このインタビューは、記事中の内容から西暦2000年中に行われたものと推測されます。
※2古橋が乱暴に和訳したので、誤解が生じる可能性もあります。実際「?」箇所がありますが、忠実に翻訳に務めました。「正すもの」が何かあれば正して頂ければ幸いです。その他は原文をご自身でお読み頂き判断、御理解ください。
※3故人(2001/8/25没)。







Q:バックグラウンドを教えて頂けますか?多くの人達が1988年のスーパーバイク・タイトルをババ・ショバートと貴方で獲得したことを知っているとは思いますが、それ以前はどんな事をしていたのでしょうか?

A:それ以前は主にオハイオ州でレースをしていた。私はテッド・ブーディといったライダーのためにチューンをしていた。その更に以前は1972年からダートトラックをしていたよ。実際にはホンダによってこの世界に入ったかな。ジーン・ロメロが私のバイクを数レース乗ったんだ。そのジーンがホンダのダートトラック・コーディネーターの仕事を得て、私を呼んだんだ。

Q:それが1980年?
A:1984年だ。

Q:当時貴方はババ・ショバートのために働きましたが、その他にも誰かと仕事をしていましたか?
A:いや、ショバートとずっと仕事をしていた。’84〜’88までの5年間だ。

Q:(ババと)二人でチャンピオンシップを2回取ったんでしたっけ?
A:3度獲った。私達はダートトラック(チャンピオン・シップ)を3度獲り、’88にはスーパーバイクのチャンピオンシップも獲った。

Q:貴方が初めてロードレースの仕事をした時の事を話してください。
A:私の記憶では’86年のデイトナが初めてだ。ババは..はっきりとは思い出せないが、VF750だったかな。ニューバイクをウェイン(・レイニー)とたしか(フレッド・)マーケル(がまだ走っていた時だっと思う、)ホンダは走らせていた。ババは古いマシンに乗っていて、私とフィル・マクドナルドが担当した。そして翌シーズンはババとウェインの担当をした。

Q:その年はスーパーバイクレースを担当されていたのですね?いかがでしたか?
A:どうだったか? うーん沢山の楽しい時間を過ごせたよ。ダートトラックをやっていたしね。私の仕事分野はほとんどダートトラックで、マイク・ベラスコがほぼ全てのロードレース分野のセットアップを担当していたんだ。基本的に’88年が最後の年かな、インディアナポリスからチームを運営した。コーディネーターの仕事が多かったよ。

私はバイクにいくつか技術的な仕事もしたよ。私達で新しいリンクを開発した、そして異なる(シリンダー)ヘッド部品を使ってヘッドアングルをかえたり。しかし私は実際のセットアップまではしていない。メインテナンスなど実作業はマイクが担当したんだよ。マイクは私よりもずっと働いたね。

Q:それが終ったのは?
A:’88の後、ババは世界GPへ行ったからそこまで。彼はGPを3戦走った。

Q:貴方のその後は?
A:’89年はスティーブ・モアヘッドとダン・イングラムのホンダを担当した。ホンダからヘルプしてもらったんだ、マシンをもらってね。私達は最終的にGNC総合3位と4位を獲得した。毎レースをトラブルなくこなしたんだ。

Q:それはチューナーとして誇るべきことですね。
A:全くだよ。誇りに思っている。それは多くの人からすれば大した事のないように写るかもしれないが、私達はこの年50レース以上をこなしたんだ。ローカル・レースでは随分勝ったよ。当時のレースとして幾つかのキャメル・チャレンジも獲った。スティーブはルイヴィルで勝ったよ。私達はポイント争いで(スコット・)パーカーと二人のファクトリー・ライダーに引き分けての総合3位だったんだ。

Q:貴方は’90年代にリッキー・グラハムのマシンを担当しましたよね?
A:うん。リッキーは’90後半と’91年前半に乗った。それとラリー(ペグラム)が幾つかのレースを乗り始めていた。ラリーは当時まだ17歳だったよ。リッキーはしばらく乗ったけれど、ドラッグとアルコールのトラブルでチームを離れ、ラリーが#1ライダーとして乗る事になった。

’92年にはマシンをハーレーにスイッチした。それからRC30をホンダから買った。実際にはこのマシンはランディ・レンフロウのバイクで、ランディが手放したんだ。ラリーは何度かレースしたんだけれど、フェニックスでひどい転倒をしてしまった。腿を骨折してしまってね。それが私が最後にいったロードレースだ。以降’93初頭からだからもう8年位になるのかな。


Q:貴方はグラハムと共に’90年代に他にもレースをされていませんでしたか?
A:いや、一度だけだよ。

Q:それで充分だった?
A:うん。

Q:貴方は彼が最も類い稀な、才能のあるライダーだと思いますか?多くの人達がそう言っていますが。
A:そこは賛成だよ。その通りだった。彼はもっとも才能あるライダーだった。しかし彼はベストな”レーサー”でなかった。なぜならレースには才能以外にも多くの要素が必要だからだ。しかし彼はマシンに跨がった時に限って言えば、私の見た中でベスト・ライドをした。

Q:’93年以降現在に至る活動を教えて下さい。
A:私は5年間デイビー・ケムリンとダートトラックの世界にいた。デイビーは昨年デュクォインで事故に遭い亡くなった。彼は私のよい友人だった。しかし5年間の活動の後分かれて独自の道を行く事となった。いなくなってしまった事は寂しい。彼の事をよく思い出すよ。

昨年ウィル・デービス(※3)ともレースをしていた。私達は3戦優勝し、チャンピオンシップで3位を獲得したよ。パーカーをやっつけたんだけれど、他にまだ二人いたんだ(笑)。私とウィルでいい仕事をしてのけたと思っているが、ウィルはレースを長い間自分でやってきていたので、私と完全一体のチームワークまでには至らなかった感はある。

そしてこの冬ラリーが連絡してきて、ロードレーシングをやって欲しいと頼まれた。とはいえ私がやっていた当時とはもはやシーンも異なっていて分からない。ただ2レースしてみて感覚はだいぶ戻ってきたかな。エンジン・ワークは全て私が担当している。


Q:ドゥカティ・エンジンを開けるのは初めてですか?
A:そりゃもう初めてだよ。フェラッキの所へ一週間通ったかな。彼は忙しい男なのでそれはハードだったよ。ほとんどの時間を待機時間に費やした。決して複雑な構造ではなかったよ。ただヘッドのセットアップに苦労した。それ以上の事はなんといっていいかわからないな。


Q:多くの事をダートトラックよりこちらへ当てはめて利用されたようですね。
A:どちらもレーシングはレーシングだよ。やりくりしなければいけない点にかわりない。起こりうる出来事に対処できるよう、準備、予備しておくんだ。全てをレディ、ゴーの状態にしておけるようにね。それはNASCARだろうと、ローカルのゴーカート・トラックであろうと同じ事だよ。

Q:トラクションを得る事に務め、スピードを得る事に務めると。
A:「他の競技者を抜く。フック・アップして速く走る。」だね。

Q:この努力が素早くデイトナの前に揃ったのですね。
A:そうだね。セカンド(予備)バイクの準備が揃ったのはデイトナへ出発する直前の週だった。デイトナでは何が起こるか分からない。私は本当に不測の事態に用心せねばという気持ちでいた。ロードレースは長い間やっていなかったし、ドゥカティに触った事もなかったからね。ジェレミー・ダニエルズは本当によく助けてくれた。彼はスズキで二年働いた事があるんだ。

結果を得る時がきた。しかし私達は出遅れた出発をきったばかりで、多くの事を追いかけねばならない。今は私自身が全速力で走っている感じだよ。もし差があったとしても、それがわからないくらい夢中でね。

Q:今年はダートトラックレースをする予定はあるのですか?
A:今のところ私のハーレーでスプリングフィールドのレースを二回やろうと考えている。マシンはショップにおいてあるし、整備は終っている。外装をペイントして付けるだけの状態になっているよ。

Q:ライダーはラリー・ペグラム?
A:うん、ラリーが乗るだろうね。彼はマイル戦をどのくらい長く乗っていないだろう、’95年が最後かな。彼は昨年いくつかのダートトラックレースをしたよ。ピオリアで私のロータックスに乗った。6位か7位でフィニッシュしたっけかな。少ないライディング期間の中でこの結果はよくやったと思うよ。





インタビュー後半






Q:貴方のもっとも好きなレースは?
A:スプリングフィールド。

Q:ピオリアについてはいかがですか?
A:ピオリアは正直ナーバスになる。多くのライダーが負傷しているから。デイビー・ケムリンも昨年あそこで腕を骨折した。あそこはただ私をナーバスにする。

Q:それはあのジャンプが理由ですか?
A:そうだね。実際にはあのジャンプとタイトになっていく最初のコーナー、あれはハードだ。スプリングフィールドは私のフェイバリット・トラックだが、観戦するのならライマ(オハイオ州)がいいかな。ディープ・クッションの古き良きダートトラック・レースが見れる。今の所週末は空いているし、ウチからトラックまでたった3時間のドライブだから、今度のレースを楽しみにしてる。フェンス際に立ってダートのスプレーを浴びるんだよ。

Q:ペースがダートトラック界に入ってきた事をどう思いますか?
A:特に害はないと思う。AMAと一緒になって最低限はうまくやってくれるんじゃないかな。

Q:どんな手腕が必要でしょう?
A:レーストラックのコンディション管理とレース進行の運営だ。この二点が最もな点になる。トラックコンディションは最近ヒドい。観客は散水車がトラックをグルグル散水するところばかり観にきたい訳ではないだろう。レースを観たいはずだ。

Q:貴方のホンダ時代のライダー達はAMAとの政治的な問題を抱えていましたよね。貴方はそのあたりの件を何か引きずっていますか?
A:それは随分以前の話だ。今はそんな事もないと思う。私はそういった深い部分まで以前のように入り込んだり巻き込まれないようにしている。私達に必要な事はダートトラックがどうあってゆくべきかという事で、どうであったかという事ではない。

Q:多くの人々がダートトラックは大人気になる可能性を持っていると思っています。それがなぜか今のところ実現されていません。もしかして二輪版のNASCARになるのかもしれないと思うのですが、いかが思いますか?
A:賛成だよ。私がずっと感じている大きな苛立ちは、彼らがレースそのものをプロモートしない事だ。これはどういう事かと言うと、NASCARがそれをやってのけて大きくなった事が明白なのにという事。彼らはレーサーをプロモートしている。考えてもみてくれよ、彼らは4〜5時間もレースをぶっ通しで続けるのにどうエキサイティングでいられるんだい?彼らにアドバンテージがあるとして、スペクタキュラーなカー・クラッシュが見れることまではわかるし、彼らはその事後に歩いて立ち去る事ができる。もし私達がしばしレースでクラッシュを起こしたら、モーターサイクル・レーサーにそんな芸当はできない。どんなレースでもそうだ。もし君が誰かレーサーを知っていてその人とつながりがあったら、彼はそういう世界の人間なんだ。転んでも誰だか分からないようでは..。ファンがいなくてはならない世界なんだよ。ただ、誰もこういった事に責任を持とう、取ろうとしない、もしかしてペースがやるかもしれないが、私にはわからない。

私は30年以上この世界にいるが、プロモートが正しく行われた事例は見た事がない。

Q:スーパーバイク・チームの話に戻ります。貴方は自身の仕事を全てオハイオにある貴方のショップでこなしているのですか?
A:その通り。

Q:いかがなものなのでしょう?願わくば大きなショップだといいですが。
A:私は以前ビッグ・ショップを持っていたよ。しかし今のところ小さくなっていってるね(笑)。まあ、実際を見てごらんよ。スタンド、部品、タイヤ、そしてホイール。思うに充分な大きさがあると思った。2000平方フィートのショップがあって、今は埋まってしまった。今は私のダイニング・ルームもジャンクで一杯だよ。いや、ジャンクは冗談だけれど(笑)。



〜以上。

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